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県南を抜ける日本の大動脈・東海道

箱根をはじめ9宿を有する神奈川県

関ヶ原の合戦で家康が勝利したことにより、東海道は〝近代日本の大動脈〟となりました。東海道の駅制が確立したのは慶長6(1601)年。神奈川県下には、品川の次の2番目の宿にあたる川崎宿に始まり、神奈川、保土ケ谷(程ヶ谷)、戸塚、藤沢、平塚、大磯、小田原、箱根の9宿が設けられました。
その後に始まる参勤交代などによって通行量が増えると街道筋の整備が進み、世情が安定するにつれ、お伊勢参りなどの庶民の利用も拡大。東海道は一大観光ルートとしても発展します。宿場町として東海道一の規模を誇る小田原宿や、街道最大の難所「箱根の山越え」の不便さを解消するために新設された箱根宿など、各宿場町は現在も県を代表する名物、名産品、観光名所も豊富です。

川崎宿
川崎宿稲毛神社
川崎宿稲毛神社

平安末期、この地の領主だった河崎基家が山王権現を勧請し開創したのが稲毛神社。「山王様」と親しまれ、明治以降の神仏習合で神社になった。

田中本陣跡
田中本陣跡

田中本陣跡。本陣は大名や公家などが宿泊。主人の田中休愚は名主や問屋場も兼ね、六郷の渡船権も譲渡されて宿場を支えた。三角おむすび発祥の地とも。

万年屋
万年屋

かわさき宿交流館・展示物写真。実在の場所のは案内板があります。

川崎宿六郷の渡し跡
川崎宿六郷の渡し跡

六郷の渡し跡には川崎大師の灯籠や、明治元(1868)年の明治大帝東下の際に、23艘でつくられた船橋を渡ったことを記念する碑が立っている。

かわさき宿交流館
かわさき宿交流館

東海道かわさき宿交流館は川崎宿の歴史や文化を深く知ることができる新しい施設。コンピューター映像や模型などを通じ当時の川崎宿がイメージできる。

神奈川宿
神奈川台の関門跡
神奈川台の関門跡

神奈川台の関門跡。開港後に外国人の殺傷事件が度々発生し、各国らの非難を受けて幕府は、神奈川宿の東西に関門を設置した。西側の神奈川台関門跡には碑が立っている。

神奈川の大井戸「お天気井戸」
神奈川の大井戸「お天気井戸」

神奈川の大井戸、通称「お天気井戸」。宗興寺境内にあった井戸で水量が増すと天気がよくなるといわれた。東海道の名水として知られた井戸。

高札場
高札場

幕府や藩が発令した法度や掟などを記した札を掲げた高札場(復元)。人通りの多い街道に設けられ、目につくよう間口が5m 、高さが3.5mと大きかった。

田中屋
田中屋

海に臨む神奈川宿でも高台にあった台町は眺望がよく、旅籠や茶屋が並んだ。居並ぶ店の中でいまも営業を続けるのが田中屋だ。西郷隆盛と高杉晋作が倒幕の計画を練り、明治には坂本龍馬の妻おりょうも働いたという。

保土ヶ谷宿
境木地蔵尊
境木地蔵尊

保土ヶ谷宿と戸塚宿との間にある権太坂。急坂を上ったところに鎮座するのが境木地蔵尊。武蔵と相模の国境で、万治2(1659)年に創建。辺りには茶屋が並び牡丹餅が売られたという。

金沢横丁に立つ4基の道標
金沢横丁道標4基

金沢横丁に立つ4基の道標。東海道と金沢道の分岐点で、「程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花」と詠われたようにここから人々は杉田梅林や金沢へと向かった。

苅部本陣跡
苅部本陣跡

国道1号線沿いに残る苅部本陣跡。現在は通用門だけとなったが、建坪270坪で、部屋数も18と東海道屈指の規模。明治になり表記ミスから軽部に改姓。

脇本陣(水屋)跡碑
脇本陣(水屋)跡碑

 大名、旗本、幕府の役人等が宿泊として利用した本陣に収容できない場合に使った脇本陣が、保土ヶ谷宿には3つあり、その内の一つ。

宿場そば桑名屋
宿場そば桑名屋

JR保土ケ谷駅近くに建つ明治19(1886)年創業の蕎麦屋。手打ちの八割蕎麦がいただけるほか黒船カレー南蛮も。由来は幕末の志士たちが黒船を見に、保土ヶ谷宿から金沢道経由で浦賀に行ったり、横浜へ向けて歩みを進めたりしたからとか。

戸塚宿
澤辺本陣跡
澤辺本陣跡

戸塚宿の二大本陣の一つであった澤辺本陣跡。明治天皇が明治元(1868)年に東下した際には行在所となった。

内田本陣跡
内田本陣跡

戸塚宿に2つあった本陣の内の一つ。

江戸方見附跡
江戸方見附跡

各宿場の両端には見附が設けられ、江戸側を「江戸見附」、京都側を「京方見附」や「上方見附」などと呼んだ。

上方見附跡
上方見附跡

宿場の出入り口に置かれた見附の跡。

富塚八幡宮
富塚八幡宮

源頼義・義家父子が前九年の役で奥州下向の際に創建した富塚八幡宮。富属彦命の古墳という場所に建立され、富塚と呼んだのが戸塚の地名の由来。

八坂神社
八坂神社

八坂神社では7月に女装した男が歌いながら町を歩き舞う「お札まき」が。江戸中頃に始まり、江戸や大坂にもあったそうだがいまでは戸塚だけに残る。

藤沢宿
ふじさわ宿交流館
ふじさわ宿交流館

藤沢宿の歴史や文化を紹介し、人々の交流の場を提供する「藤沢市ふじさわ宿交流館」。藤沢宿を再現した模型など東海道や宿場に関する資料を展示。

不動堂
不動堂

藤沢宿の西、四ツ谷の立場(茶屋もあった休憩所)には東海道から大山道への起点が。鳥居が立ち、不動明王を乗せた道標を納める不動堂が建つ。

ふじさわ宿交流館

大山寺本尊の不動明王を安置した道標。延宝4(1676)年の建立。風雪で朽ちた道標も多いが四ツ谷の不動明王は人々から守られ保存状態がいい。

さつまや本店
さつまや本店

藤沢の老舗寿司屋の板長が魚介のさばき方から握り寿司や軍艦巻などのつくり方を教えてくれる。約30ヵ国からの外国人も受講した人気プログラム。

遊行寺
遊行寺

遊行寺として名が通る清浄光寺は、踊り念仏の布教で知られる一遍上人が開いた時宗(浄土教一宗派)総本山。正中2(1325)年に遊行四代呑海上人が廃寺を再生し創建した。浄瑠璃や歌舞伎の題材となった小栗判官照手姫伝説でも知られ、観光の人気地だった。境内には樹齢700年ともいう大銀杏が。寺宝を展示する宝物館も。

伝義経首洗い井戸
伝義経首洗い井戸

義経の首は実検後に片瀬の浜に捨てられたという。その後、汐に乗って境川を上り付近に漂着。地元民によって葬られたという「伝義経首洗い井戸」。

白旗神社
白旗神社

源頼朝の命で弟義経を弔い祀ったのが白旗神社。白旗は源氏の印。もとは寒川比古命の分霊を祀る寒川神社だったが、義経も合祀されたという。

蒔田本陣跡
蒔田本陣跡

17世紀後半に設置された江の島への道標。道沿いには10数基が伝わる。藤沢にはこのほかにも鎌倉道や八王子道、厚木道が通り人や物が集まった。

遊行寺宝物館
遊行寺宝物館

遊行寺宝物館は、仏教美術を中心とした多数の絵画・書跡、工芸等を所蔵しております。 年4~5回の企画展を実施しています。

遊行寺橋
遊行寺橋

遊行寺門前の境川に掛かる橋。 旧東海道から橋を渡ると遊行寺へと続きます。

永勝寺(飯盛女の墓)
永勝寺(飯盛女の墓)

浄土真宗のお寺で、宿場当時の「飯盛女」の墓がある。

感応院
感応院

古義真言宗のお寺で、藤沢宿では最も古いお寺の一つ。 源頼朝が旅の厄除けに三嶋大明神を勧請したと伝えられています。

平塚宿
番町更屋敷お菊塚
番町更屋敷お菊塚

江戸時代の怪談話『番長皿屋敷』の主人公お菊にちなんだ塚。お菊は平塚宿の役人の娘だったというが、奉公に出た先で無実ながら非業の死をとげた。

江戸口見附
江戸口見附

復元された平塚宿の江戸口見附。各宿場の両端には見附が設けられ、江戸側を「江戸見附」、京都側を「京方見附」や「上方見附」などと呼んだ。

加藤本陣
加藤本陣

加藤本陣は表間口16間半、奥行き38間で表門と表玄関を備えた。脇本陣は本陣の補助をしたが、特権階級の宿泊がなければ庶民も泊まれた。

平塚八幡宮
平塚八幡宮

平塚八幡宮は、この地を襲った大地震に苦しむ人々を見かねた仁徳天皇が国土安寧を祈り、応神天皇を祀ったのが起源とされる(写真提供:平塚八幡宮)

平塚宿の京方見附
平塚宿の京方見附

加藤本陣は表間口16間半、奥行き38間で表門と表玄関を備えた。脇本陣は本陣の補助をしたが、特権階級の宿泊がなければ庶民も泊まれた。

平塚市博物館
平塚市博物館

相模川流域の自然と文化がテーマの平塚市博物館。平塚宿に関する展示もあり、文久 2 (1862)年の資料をもとに200分の1で宿場を再現した模型も。

春日神社
春日神社

北条政子安産祈願の神社。

要法寺
要法寺

地名由来の塚の碑近くにある。

平塚の塚
平塚の塚

平塚の地名の由来の場所。 平安時代の中期、天安元年(西暦857年)に桓武天皇の孫に当たるお姫さまが、京都から東国に下る途中に、この地でお亡くなりになりました。 その柩を埋めて塚を作ったところ、塚の上が平らであったことから 「平塚」という地名になったと言われています。

旧横浜ゴム平塚製造所記念館
旧横浜ゴム平塚製造所記念館

日本火薬製造が明治40(1907)年頃より平塚で火薬を製造。その後、海軍が買収し火薬廠とした。戦後の米軍接収後、横浜ゴムに払い下げられたが市に無償提供され、記念館として一般に公開。イベントなどで利用されている。国登録有形文化財。

大磯宿
井上蒲鉾店本店
井上蒲鉾店本店

明治11(1878)年に創業した老舗。大磯以外に店はなく、遠方からもわざわざ買いに来るお客が。日本中でここにしかないと称されたはんぺんやイシモチだけでつくったかまぼこ、揚げたてのさつまあげが看板商品。大磯土産にいい。

六所神社
六所神社

相模国総社六所神社(大磯町)は国府のお膝元として総社の格を有し、国府祭の一連の神事はこの神領地で行われる。後に源頼朝、北条氏、徳川家康と有力武士の篤い信仰を集めた。櫛稲田姫命を祀る。

尾上本陣跡
尾上本陣跡

大磯宿には、参勤交代の大名や公家が宿泊する本陣が3つありました。その中の一つで、幕末までつづいていました。

小嶋本陣跡
小嶋本陣跡

大磯最大の小嶋本陣跡。天保7(1836)年の大火で他の本陣ともに焼失したが再建し、明治元(1868)年の明治天皇東下の際は行在所となった。

高麗神社
高来神社(高麗神社)

高麗山には江戸時代まで、徳川家からも崇敬された高麗寺があった。高麗神社も鎮座したが、明治の廃仏毀釈で神社が残り、その後、高来神社と改称した。

小田原宿
小田原宿なりわい交流館
小田原宿なりわい交流館

小田原宿なりわい交流館は関東大震災後に再建した網問屋の建物をリニューアルしたもの。市民や観光客憩いの場として開放。畳の間もあり、靴をぬいでくつろげる。

小田原駅前通り商店街(アーケード天井)
小田原駅前通り商店街(アーケード天井)

駅前通り商店街のアーケード天井には、三つ鱗(後北条氏)や阿部鷹の羽(阿部氏)、大久保藤(大久保氏)など、小田原城歴代城主の家紋が並ぶ。

小田原城
小田原城

後北条時代に築かれた日本最大級の城郭を活かし、江戸時代の城主大久保氏が近代城郭に発展。宝永期(1704~1711)の天守閣が復興された小田原城は地上38、7m、3重4階の天守に付櫓、渡櫓を付けた複合式天守。マニアからの人気も高い。

小田原かまぼこ通り
小田原かまぼこ通り

海からの恵みと箱根丹沢水系の良質な水が小田原名物のかまぼこを生んだ。船方村と呼ばれた旧街道筋には店が軒を連ね「かまぼこ通り」と呼ばれる。

光円寺
光円寺

春日局の創建といわれる光円寺の大銀杏は現在も旅人の目を楽しませている。

松原神社
松原神社

後北条時代より小田原の総鎮守的な存在でいまも盛大な大祭が行われている。

魔法の窓
魔法の窓(御幸の浜)

外国人旅行者が投稿したSNSから話題となった「魔法の窓」。西湘バイパス下のトンネルを抜けると青い大海原が。感動した外国人が名付けたという。

小田原漁港
小田原漁港

新鮮な魚介を提供する飲食店や土産物店が並ぶ小田原漁港。伊東や真鶴、大磯など相模湾周辺の漁場から1600種の魚類が集まる地域の核となる漁港。

箱根宿
箱根神社
箱根神社

山岳信仰の霊山である箱根芦ノ湖畔に、天平宝字元(757)年、万巻上人が箱根神社を創建。源頼朝をはじめ北条氏や徳川家康などの武将の崇敬を集め箱根権現として敬われた。

甘酒茶屋
甘酒茶屋

茅葺屋根の民家を移築し無料休憩所とした箱根旧街道休憩所。隣接して、江戸初期に創業した甘酒茶屋が建つ。いまも変わらない味の甘酒が名物。旧東海道石畳もすぐ。

お玉が池
お玉が池

お玉が池には、箱根関所にかかわる悲しい伝説がありますが、今は箱根の森として整備され、緑が豊かな所となっています。

箱根旧街道杉並木
箱根旧街道杉並木

元箱根から恩賜箱根公園までの旧街道沿いに約500mの杉並木が続く。川越城主・松平正綱の植林という。400本を超える樹齢約400年の杉が並び、鬱蒼とした雰囲気。

箱根寄木細工
箱根寄木細工

箱根寄木細工は、箱根の豊富で多様な木材の質や木目などの個性を活かしながら、精緻に寄せ合わせた木工芸品である。江戸時代から続く技術が継承され、からくり付きの秘密箱は土産としても人気が高い。箱根駅伝往路優勝チームには寄木細工のトロフィーも贈呈される。「かながわの名産100選」の一つ。

箱根関所資料館・箱根関所
箱根関所資料館・箱根関所

芦ノ湖に臨む箱根関所。箱根宿開場と同時に隣接して設置され、江戸への入出を厳しく監視した。笠や頭巾は取り、顔かたちを確認し、乗り物の旅人は扉を開けて中をチェックした。大名行列でも不審者がいれば審査したという。

千条の滝
千条の滝

小涌谷の蛇骨川上流の奥深いところに潜む千条の滝。高さ3m、幅20mの岩盤に糸の如く幾筋にも分かれ清流が落ちる。7月にはゲンジボタルも飛び交う。

元箱根石仏群
元箱根石仏群

精進池の畔に54基の石仏や石塔が点在する元箱根石仏群。中世の箱根越え、湯坂道の通る寂寥とした場所で、鎌倉時代後期につくられた。

コラム3
脇街道

中原街道、金沢道、矢倉沢往還など人や物が行き来した道。

相州中原御殿之碑

16世紀末から17世紀中頃まで家康などが利用した中原御殿跡。江戸と駿府を行き来したり鷹狩したりするためにつくられたという。北斎の記念碑が立つ場所から北西に600mほどのところ。

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