ロゴ

久里浜沖に現れた4隻の米艦隊

日本の歴史を塗り変えた黒船来航

江戸末期の嘉永6(1853)年、アメリカのペリー提督率いる4隻の船が浦賀沖に現れました。開国、明治維新へと至る歴史の大きな転換点となった黒船来航をきっかけに、浦賀は造船の町として生まれ変わります。
江戸幕府がオランダから購入した洋式軍艦「咸臨丸」は、日米修好通商条約の批准書を交換するため、勝海舟ら遣米使節団を乗せ、安政7(1860)年に浦賀港を出港し、1カ月半の航海の末にサンフランシスコ港に到着。日本で初めて太平洋横断を成し遂げました。浦賀港の東西に向かい合っているのが叶神社。ここで勝海舟が咸臨丸での太平洋横断前に断食をしたとも伝えられています。一行が無事に使命を完遂できたのは、この勝の願かけのおかげだったのかもしれません。

ペリー記念館
ペリー記念館

横須賀市制80周年を記念して建てられたペリー記念館。ペリー来航に関する資料や模型などが展示され、絵巻物や瓦版などから当時の人々の驚きなども知ることができる。

ペリー公園
ペリー公園

明治34(1901)年に米友協会によって建てられたペリー上陸記念碑。碑文の「北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑」と書かれた文字は伊藤博文の筆によるもの。

浦賀奉行所の石垣
浦賀奉行所の石垣

文化文政期(1804〜1830)の頃から日本近海に出没するようになった異国船から江戸を防備するため、海防の重要な役割を果たしていたのが浦賀奉行所である。現在、堀の石垣と表門の前にかかっていた石橋の伊豆石が4、5枚残るだけで、当時の様子を偲ぶことは難しい。

浦賀ドック
浦賀ドック

平成15(2003)年に閉鎖されるまで、1世紀以上にわたり約1000隻もの船をつくった浦賀ドック跡地。日本丸や海王丸もここでつくられた。

浦賀ドック

毎年4月末に、咸臨丸の偉業を称えて行われる「咸臨丸フェスティバル」の様子。史跡案内など各種イベントが多数開催される。

愛宕山公園
愛宕山公園

浦賀ドックに臨む愛宕山公園には中島三郎助の招魂碑が立つ。高台からは浦賀港が一望でき、咸臨丸の出港記念碑も。

陸軍桟橋
陸軍桟橋

通称「陸軍桟橋」と呼ばれるL字型の桟橋。周辺はボードウォークが整備され、浦賀港対岸の東叶神社を望む東屋も。ひと休みするのにいい。

浦賀コミュニティーセンター分館(郷土資料館)
浦賀コミュニティーセンター分館(郷土資料館)

賀の郷土資料を展示する浦賀コミュニティセンター分館。浦賀奉行所はじめ鳳凰丸や咸臨丸、ペリー艦隊などの模型も。入館無料。

東叶神社(井戸、ソテツ)
東叶神社(井戸、ソテツ)

東叶神社の裏山は明神山と呼ばれ、よく保全された自然林が残る。特にウバメガシの自生は県内でもこの明神山と城ヶ島だけ。ここが分布の北限とされる。

西叶神社
西叶神社

西叶神社には、名工として名高い後藤利兵衛橘義光の彫刻作品が230以上も残されている。寺社の彫刻は宮彫りと呼ばれ、精巧に施された宮彫りを見て回るのも楽しい。

浦賀の渡し船
浦賀の渡し船

東西二つの叶神社両方お参りすると願いが叶うという。お参りにはポンポン船の愛称で親しまれる渡し舟が便利。海が入りこんだ浦賀では貴重な足だ。

浦賀港
浦賀港

享保5(1720)年に浦賀奉行所が置かれてから江戸へ出入りする船はすべて浦賀で船改めされた。廻船問屋も集まり街は発展する。以後、歴史の表舞台にも何度か登場。

衣笠山公園
衣笠山公園

2000本の桜を誇る県内有数の名所、衣笠山公園。ハイキングコースもあり三浦半島の自然が満喫できる。周辺は11世紀に築かれた三浦氏の居城跡。

燈明堂
燈明堂

慶安元(1648)年に幕府の命でつくられた燈明堂。菜種油で灯された光は海上4海里を照らしたという。雨風で崩壊していたが、昭和63(1988)年に復元された。

神奈川県立観音崎公園
神奈川県立観音崎公園

東京湾に突き出た観音崎に広がる敷地面積70.4ヘクタールの自然豊かな公園。園内は照葉樹林で覆われ、野鳥や植物が多種類生息する。海や自然の情報を紹介する「観音崎自然博物館」や、海を見渡せるおしゃれなリゾートホテルも建つ。

くりはま花の国
くりはま花の国

花がテーマの公園。春はポピー、秋はコスモスが100万本咲き誇る。約80種8000株が植えられたハーブ園や、ハーブがブレンドされた足湯も。充実した遊具もあり家族連れに人気。

怒田城址
怒田城址

衣笠城が落ちる際、三浦一族は怒田城から船で安房を目指したという。船を置いたとされる「舟倉」という地名が残る。

おすすめコースをチェック
← TOPページへ戻る